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| 開催要項 | チラシ(表) ・ PDF(2,363KB) | チラシ(裏) ・ PDF(1,964KB) | プレスリリース |
1.展覧会名 | 夜明けまえ 知られざる 日本写真開拓史 北海道・東北編 |
2.会場 | 鶴岡アートフォーラム ギャラリー1・2 |
3.会期 |
2013(平成25)年7月20日(土)〜8月25日(日) 32日間 前 期:7月20日(土)〜8月 4日(日) 14日間 後 期:8月 7日(水)〜8月25日(日) 18日間 月曜休館[ただし8月12日(月)は開館]※8月6日(火)は展示替えのため休場 |
4.開場時間 | 10:00〜19:00(入場は18:30まで) |
5.観覧料 |
一般500(400)円/高大生300(240)円/中学生以下無料 *( )内は20名以上の団体料金 |
6.内容 |
日本全国の幕末から明治期の写真・資料を調査し、体系化する初めての試み。関東編、中部・近畿・中国地方編、四国・九州・沖縄編につづくシリーズ第4弾として北海道・東北編を開催します。 東京都写真美術館と日本大学藝術学部が所蔵する作品のほか、北海道・東北の約2,400施設に調査結果に基づき、所蔵が明らかになった多くの作品によって展覧会を構成します。 それによって、これまで見過ごされてきた新たな写真史を紐解くとともに、19世紀の日本および日本人の姿を、絵画とは異なる世界をもって呈示するものです。 また、二年が経過しても記憶に新しい東日本大震災を受けて、過去の南三陸大津波や磐梯山噴火、庄内大地震など、明治期の天災記録写真も併せて展示し、幕末から明治30年代に至る写真約500点を紹介します。 |
7.関連事業 |
ゲスト・トーク ゲスト:三井圭司氏(当展企画者、東京都写真美術館学芸員) 本展覧会企画者が会場をご案内します。 日 時:7月20日(土)、8月4日(日)各回14:00〜15:00 参加料:無料 ※ただし、入場には観覧券が必要です。 申込み:不要、会場へ直接お越しください。 ギャラリー・トーク 当館学芸員が会場をご案内します。 日 時:8月17日(土)14:00〜15:00 参加料:無料 ※ただし、入場には観覧券が必要です。 申込み:不要、会場へ直接お越しください。 特別展覧会「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史 北海道・東北編」 × 山形文化遺産防災ネットワーク・ミーティング in 庄内 講演会 『初期写真から学ぶ「地域の歴史」と「災害」そして「歴史継承」』 日時:8月25日(日)13:30〜17:30(途中休憩あり) 会場:鶴岡アートフォーラム2F 大会議室 申込み:不要、会場へ直接お越しください。※座席数に限りがございます(50席程度)。 詳細はこちら |
8.主催 | 鶴岡アートフォーラム/鶴岡市教育委員会/読売新聞社/美術館連絡協議会 |
9.協賛 | ライオン/清水建設/大日本印刷/損保ジャパン |
10.協力 | 東京都写真美術館/日本大学藝術学部 |
11.問い合わせ先 |
鶴岡アートフォーラム 〒997-0035 鶴岡市馬場町13-3 TEL:0235-29-0260 |
12.展覧会概要 | |
第1章 であい 西洋で生まれた写真術は幕末の日本にも伝わってきました。天保14(1843)年、長崎の御用時計師で商人でもあった上野俊之丞がダゲレオタイプ器材の輸入を試みましたが、この時は失敗し、最終的に嘉永元(1848)年に写真機が入ってきたと言われています。残念ながら当時の写真は現存していません。日本人を日本の土地で撮影した写真のうち、現存する最古の写真は嘉永6(1853)年に初めて日本を訪れたペリーが、翌安政元(1854)年に開国を迫って再訪した際に、同行していたエリファレット・ブラウン・ジュニアによって撮影されたものです。第1章では、この時に撮影された写真を石版画の挿絵にして掲載した『ペリー遠征記』をはじめとして、外国人が撮影した日本人の写真を「であい」として取り上げます。 |
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第2章 まなび 横浜、神戸、函館などの港が外国に開かれると、多くの外国人写真師が日本に訪れ、彼らに学んで日本人写真師が登場します。同時に諸藩で写真研究が行われ、佐賀藩の川崎道民や南部藩の関政民によって撮影された写真が残されています。 日本人で最初に営業写真館を開設したのは、横浜で営業していたフリーマンから写真術を学んだ鵜飼玉川で、文久元年8月(1861年9月)以前に江戸で開業していたと言われています。また、横浜で開業した下岡蓮杖は、横山松三郎や鈴木真一など多くの弟子を輩出し、長崎においては上野彦馬や内田九一といった写真師が登場し、北海道・東北地方にも彼らによる写真が残されています。各地域でも北海道の田本研三や山形の菊地新学、仙台の白崎民治、新潟の金井弥一といった第2世代の写真師たちが写真館を開業していきます。 |
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第3章 ひろがり 幕末期から流入した写真術は、主に肖像を記録する媒体としての需要が高く、その分野で技術が広がっていったといえます。やがて、それまで浮世絵に描かれてきた役者や著名人、あるいは名所を捉えた写真が増えていくことから、社会的な記録媒体としての写真術の活用が見られるようになっていきました。こうした写真術の需要の広がりは、北海道や東北の開拓地や公共建築物という社会的公共事業を記録した写真にもつながっていきます。同時に、記録し、伝達するメディアとしての機能を活かして、天災被害を調査報告するためにも写真が利用されるようになりました。2年前に起こった東日本大震災の報道を多くの人が目の当たりにしましたが、明治初期にも同様に、天災を伝えるためのメディアとして写真が用いられています。第3章では、明治21(1888)年の磐梯山噴火や明治27(1894)年の庄内大地震、明治29(1896)年の三陸大津波の被害を伝える天災記録写真も併せて展示します。 |
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「陣羽織姿の松前崇廣」 慶応2年以前 アンブロタイプ 松前町郷土資料館 「西田川郡役所」鶴影軒 明治15年頃 鶏卵紙 致道博物館 「飛鳥神社矢大臣門崩壊之真図」 明治27年 鶏卵紙 本間美術館 「箱館市中取締 裁判局頭取 土方歳三」 田本研造ヵ 明治2年 ゼラチン・シルバー・プリント(後年のプリント) 函館市中央図書館 「籠手田知事令嬢」金井弥一 明治24-29年 写真油絵 新潟県立近代美術館・万代島美術館 |
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